私たちに必要なのは何でしょうか。
「助けてもらったことを思い出すこと」です。
私たちの記憶は面白いもので、助けたことはよく覚えているです。
覚えようとしても覚えています。
助けるときは能動的になります。
能動的になると、強く意識したり行動が伴ったりするので、記憶に深く刻まれ頭に残りやすくなります。
苦労や責任が伴うことであれば、ますます印象的になって忘れにくくなります。
特にお金が関係していることは忘れようにも忘れられません。
いつどこでどのくらい貸したのか、はっきり覚えているでしょう。
経済的に援助した経験は、昔のことでも鮮明に思い出せるはずです。
ところが、その一方で「助けてもらったこと」はなかなか思い出せません。
助けてもらうときは受動的です。
頑張るのは相手です。
苦労するのも責任を負うのも相手です。
受動的なことは印象に残りにいため忘れやすくなります。
「いつの間にか助けられる」というケースも少なくありません。
往々にして優しい人は気も利きます。
あなたからヘルプサインを出さなくても、優しい人は積極的に、時にはこっそり助けてくれます。
いつの間にか助けられると自覚しにくくなって、なおさら記憶に残りにくくなります。
私たちの脳は「助けたことは忘れにくく、助けてもらったことは忘れやすい」という特徴があるのです。
いま一度、助けてもらったことを思い出してください。
なかなか思い出せないかもしれませんが、そう感じるだけです。
過去の記憶の隅々まで検索をかけてください。
今まで助けてもらったことに集中すれば、必ず思い当たることが見つかります。
落ち込んでいるとき、友人が親身に励ましてくれたこと。
勉強で行き詰まっているとき、先生がわかりやすく教えてくれたこと。
残業で困っているとき、同僚が積極的に仕事を手伝ってくれたこと。
自分に責任があるミスを、上司がうまくフォローしてくれたこと。
「そういればあのとき!」となり、どんどん思い出していけるでしょう。
数え切れないほど助けてもらったことを思い出せるはずです。
特に親からは助けてもらったことの連続になるはずです。
毎日食事を作ってくれたこと。
一人暮らしのとき、仕送りをしてくれたこと。
金銭的援助をしてくれたこと。
塾まで送り迎えをしてもらったこと。
徹夜をしているとき、夜食を作ってくれたこと。
いろいろな相談に乗ってくれたこと。
これまで育ててくれた一つ一つを思い出せば、星の数ほどあって切りがありません。
助けてもらっていないのではありません。
助けてもらっていることを忘れているだけです。
丁寧に過去を振り返れば、多くの人から助けてもらったことを思い出せます。
いかに自分が恵まれているか実感できるでしょう。
「なんてありがたいことなのだろう」と思わずにはいられなくなります。
自然と感謝の念が生まれ、今までより優しくなれるのです。