わかり合えないことがあってはいけないと思っていませんか。
同棲生活をするくらいなら、かなり親密な関係になっているはずです。
結婚を前提にしていると言っても過言ではないでしょう。
そうした意識があるためか「わかり合えないことが、1つもあってはいけない」と思いがちです。
いつでも心が通じ合えて、どんな話も理解し合えるような関係を目指しているでしょう。
どんな話でもにこにこしながら聞いてくれ、快く受け入れてくれる関係です。
しかし、それはあまりにも酷なことと言えます。
どんなに仲のいいカップルでも、もともとは別々の人間です。
生まれも育ちも性別も違うわけですから、すべてをわかり合えるのは難しい。
同じDNAから生まれた一卵性双生児ですら、お互いのすべてを完璧にわかり合えるわけではありません。
いくら仲のいいカップルであっても、完全にすべてをわかり合えないことはあって当然。
すべてをわかり合おうと考えるのは素晴らしく思えますが、現実では不可能なのです。
そこで必要なのが「わかり合えないことをわかり合う」という考え方です。
わかり合えないことが存在することを、前向きに受け入れ、認めるのです。
わかり合えないことはあっていい。
どうしてもわかり合えないことがあって、大いに結構。
むしろわかり合えないことを楽しめるようになるといいでしょう。
そうすれば、わかり合えないことがあっても、不安も不満も小さくなります。
焦りやいら立ちも少なくなり、疲れも小さくなります。