兄弟がいれば、もちろん兄弟喧嘩が起こります。
私にも妹が1人いて、小さいころはよく喧嘩をしていました。
テレビのチャンネルの取り合いで喧嘩になったり、分け与えられたケーキの大きさの違いで喧嘩になったりなどです。
子どものころの喧嘩というのはたわいないことから始まります。
私は妹と喧嘩をしていたとき、母がちょうどやってきます。
「どうしたの。なぜ喧嘩しているの」と、尋ねてきたので、私は「妹のケーキのほうが大きい。ずるい」と言いました。
てっきりうまく仲裁をしてくれるのかと期待していましたが、外れました。
「あ、そう。じゃあ自分たちで、何とかしなさい」
一言冷たく言って、終わりです。
喧嘩の理由が大事ではないことを知った母は、自分が介入するほどのことではないと思ったのでしょう。
それから母はどこかへ行き、私たちは放置の状態になりました。
「自分たちで何とかしなさい」と一言で締めくくられると、あっけなさに、喧嘩の熱も冷めます。
子どもは親に「自分たちで何とかしなさい」と言われると、困ります。
「これ以上、喧嘩をしても意味がない」と思うのです。
そこで私と妹は、仕方なくではありましたが何とか「仲直り」をしていました。
喧嘩をすれば仲直りというのが、1つのセットです。
喧嘩をしたままで終わらせてはいけません。
そこで仲直りが必要であり、その仲直りをする経験も親が奪ってはいけないのです。
仲直りも子どもには大切な勉強です。
親が仲介してうまく取り繕っては「仲直りをする機会」を取り上げてしまいます。
意外なことと思うでしょうが、子どもの喧嘩はほうっておきましょう。
他人に迷惑をかけたり、命に関わったりするいざこざなら、もちろん親がしっかりしなければなりません。
しかし、そうでなければほうっておいてもいいのです。
仲直りも、お金の勉強と同じように、学校では教えてくれないことです。
学校で喧嘩が起きると、必ずといっていいほど先生が飛んでやってきます。
先生が間に入り、うまく取り繕いますが、自分たちの力で仲直りする機会を奪っているだけです。
こうなったら仲直りをする勉強は、日常しかありません。
親は喧嘩の事情だけを聞いて大きな問題ではないことがわかれば「後は自分たちで何とかしなさい」とだけ言えばいいのです。
はじめこそ親が仲介して「仲直りとはどういうものなのか」「どうすればいいのか」ということを教えます。
しかし、いったん基本的なことさえ教えれば、後は子どもたちの力で仲直りをさせるのです。
最初はうまく仲直りができないかもしれませんが、数をこなせばうまくなるというものです。
仲直りができるようにならなければ、大人になってから大変に苦労をします。
友人関係で揉めたり、恋人関係で揉めたり、お金のことで揉めたりと、何かと喧嘩をしてしまう機会は多くあります。
子どものころから仲直りの練習をしておかないと、大人になってからうまく仲直りができなくなってしまうのです。