「父親は、子どもから嫌われることが仕事なのよね」
以前、行きつけの美容院のおばさんが小さな声で言った言葉に、私は妙に納得してしまったことがあります。
私の母と同じくらいの年齢のおばさんでした。
私と同じ年の息子さんをお持ちということもあり、共通点が多く、話がよく弾んだものです。
母に髪を切られているような心境になっていました。
上記の言葉は、そんな親子について会話をしたときに出た言葉です。
父親母親それぞれの「親としての役割」は大きく異なりますが、とりわけ父親は子どもから嫌われることが父親の役目となります。
嫌われるような父親にならないといけない。
そう聞くと「信じられない」と思うでしょう。
しかし、子どもから「うちの父はなっていない!」と言われるようになり、初めて父としての役目ができているのです。
私も、学生時代は、父親が嫌いでたまりませんでした。
この世で一番嫌いな人であり、否定をしてきた存在でした。
子どもとしては、大嫌いな親を乗り越えようとしているからこそ反論、反発、否定をして、その力をバネに成長していくのです。
物心がつき、判断ができて、自分の力で生きていけるようになれば、親からの保護を自分から断ち切り、自分の道を選び進みます。
それは往々にして「父が嫌い」「親なんていらない」という曲がった言葉として表現される場合が多いのです。
私の父も強い威厳があり、怒れば怖い父親でしたが、父親としての仕事ができている証拠でした。
幼い私は、その威厳に逆らうことができず、従うしかなかった。
幼稚園や小学生のころは、その圧力に従いながら成長しますが、中学から高校にかけて、たまったストレスは一気に噴き出します。
父の威厳により、子どもは父を否定し、乗り越えたい欲求が大きくなります。
反抗期が、その代表例です。
いずれ子どもは、親元から離れていく。
当時の私にしてみれば、高校卒業後のアメリカへの留学がそれにあたります。
「アメリカへ行きたい」という気持ちより、親から離れたいという反発力のほうが強くて、圧倒的な原動力となっていました。
そのくらいに父が嫌いでしたが、結果として今、成長できている自分がいるのです。
私はまんまと、父からの教育どおりに育ってきたということです。
父は、子の教育のために威厳を出し、出した威厳のために子どもから嫌われ、子どもは反発力をバネに成長していったのです。
命を懸けた教育だったのです。
だから今の私がいます。
父は子育てをしていない、と思っていた私が間違っていたのでした。
父は、自分を犠牲にすることで、子を育てていたのでした。
「父親は、子どもから嫌われることが仕事なのよね」という言葉は、自分の過去を照らし合わせて、そのとおりだと思ったのです。