私が親を見ながら育ち、今とても感謝していることの1つに、感謝をする習慣を身につけさせてくれたことです。
私の親はちょっとしたささいなことでも「ありがとう」と感謝する習慣があります。
手本である親がそうしていたから、私もそうするのが当たり前だという意識の元で育ちました。
最初は恥ずかしさを感じるかもしれませんが、慣れれば当たり前になります。
感謝しないほうが、違和感を抱くことでしょう。
子どもに命令をするだけの親がいます。
命令だけでは、子どもは素直に従ってくれないでしょう。
「~しなさい」という時点で強制になり、本人の気持ちとは関係なく、やらざるを得ないからやっている状態なのです。
子どもに強制させることで習慣付いたようでも、子どもにしてみれば「親に叱られるからやる」といった理由でしかないのです。
いずれ親の見ていないところでは、そうした強制的な習慣はいとも簡単に崩壊します。
本当に子どもに習慣付いてもらおうと思うなら、なにより手本である親がそうすればいいだけです。
私が親に感謝しているのは、強制的に「~しろ」という命令で育てたことではありません。
親が感謝を習慣としていたから、私もそれにならったことです。
親が当たり前に行っていることは、私もすることが当たり前となり、自然な習慣となっていったのです。