2003年の1月1日。
タイムズ・スクエアのカウントダウンを最後に、私は写真を一切撮らなくなりました。
タイムズ・スクエアのカウントダウンは、世界でも最も有名なイベントの1つです。
そのときの光景を写真に収めようとしていて、むきになっていました。
しかし、突然気づきました。
「写真を撮ってやるぞ」と躍起になるほど、その瞬間の感動を、本当に心から味わっていない自分に気づいた。
それからというもの、一切の写真を捨てました。
今まで撮った1,000枚以上の写真も、全部捨てました。
これからは「写真」として残すより「記憶」として残そうと思いました。
「そんなことしたら、後から振り返られない」と思いますが、振り返ることはできます。
そもそも記憶に残っていないのは、写真を撮ることに専念しすぎていたためです。
きちんとそのときの感動を心から味わっていれば、必ず記憶に残ります。
写真として残さなくても、記憶として残せばいい。
それは場所もお金もかかりません。
なにより記憶には、写真にはない素晴らしい機能があります。
時間とともに、ぼんやり色あせてしまうことです。
欠点のように思えますが、実に素晴らしい長所です。
あるようでないような、ぼんやりした記憶の状態がいい。
ぼんやり色あせた状態のほうが、思い出したとき哀愁を伴って「懐かしいな」「そういうこともあったね」と感動させられます。
それは写真にはできないことです。
写真は、あまりにはっきり映っていると、生々しくて白けます。
カラーの人物写真より、白黒の人物写真のほうが、味わい深いのと同じです。
古い様子や色あせた状態が長い歴史を感じさせ、深みを感じさせる。
だんだん時間とともに色あせていくのは、ワインのようです。
はっきり残すことだけがすべてではありません。
時間とともにぼんやりしていく記憶のほうが、哀愁が帯びるため、深い感動があるのです。