国語での読解力は、想像する力にも比例します。
文章を読んだとき、情景を鮮明に想像できる人のほうが、文章題に対して有利に働くのはいうまでもありません。
では、その想像する力とは、いつ、どう育まれるのか。
それは、過去の自分の体験をもとに育まれます。
同じ経験がある、似た経験があれば、書いてあることを、感情を伴いながら、より具体的に理解できるようになります。
たとえば、国語の文章問題で「野球に負けて悔し涙をぼろぼろ流す」という内容があったとします。
やはり実際に野球をして、試合に負けて涙を流した経験があるなら、その悔しい気持ちはより具体的に想像できるはずです。
また、文章に書いている内容が野球だからと言って、まったく同じスポーツである必要はありません。
たとえ、サッカーをしていたとしても、試合で負けて大粒の悔し涙を流した経験があるなら、気持ちが通じる部分があるはずです。
書いてある気持ちを、より鮮やかにはっきり理解することができるでしょう。
しかし、出無精でスポーツをまったくしたことがない人の場合はどうでしょうか。
体験がないなら、負けたときの悔しさを理解するというのは難しいでしょう。
それなりのイメージはできるかもしれませんが、実体験のある人に比べれば、はるかに劣るはずです。
そういうところで、国語の読解力というのは、差が出てきます。
国語といえば、頭を使うイメージがあります。
しかし、違います。
根底を突き詰めれば、土台は「過去の体験」であり、幼少期に「体を動かす」という習慣が鍵を握ります。
この体を動かす経験を、できるだけ若いうちにたくさんしておくほうがいい。
勉強も大切ですが、それ以外はもっと大切です。
友人を作り、一緒に遊んだり、旅行をしたり、スポーツをしたりです。
時には、友人と喧嘩したり、スポーツで惨敗して大泣きしたりするのもいい体験です。
その正否を問わない数多くの体験が、後に具体的なイメージ力へとつながり、国語の読解力が高められるのです。