私が子どものころ、野生的な野外キャンプを体験したことがありました。
愛媛の山奥に「愛媛森林公園」という野外キャンプ専用の施設があります。
近所の人との企画で話が勝手に進み、親からは「面白いよ」と言われたので、ぜひ参加することにしました。
総勢20名くらいで、1泊2日のキャンプです。
ところが、これがとんでもない経験の連続になりました。
行ってみると、周りには民家は一軒もありません。
道路はあっても、全然車は通らない。
まさに山奥。
夜になったらお化けでも出そうな場所でした。
聞こえるのは、虫の鳴き声、川で水が流れる音、風が吹く音ばかりです。
まず、そんなへき地に驚きました。
到着するや否や、まずテントを張って、簡易的な家を造ります。
ご飯を作るときは火が必要ですが、あえてライターは使いません。
近くにある木を斧で切って、切った木同士をこすり合わせ、摩擦熱で火をおこします。
これがまた、一苦労でした。
いくらやっても火がつかず、私は「ライター使おうよ」と言っても、周りの大人たちは、ダメだといいます。
私は挫折して、ほかの友人に火をおこしてもらいました。
火がついたと思ったら、次はご飯です。
ご飯を炊くときも、あえて炊飯器は使いません。
「飯ごう」という屋外で使用する携帯用炊飯器具を使って、火で温めながらご飯を炊きます。
火が弱いとご飯はうまく炊けませんし、火が強すぎるとご飯はぱりぱりになります。
夕方になれば、お風呂の時間です。
当然ですが、湯沸かし器なんてものはありません。
大きなドラム缶に水を入れ、火をたいてお風呂を作ります。
そんな野生的なお風呂に入るのは初めてです。
極めつけは、夜でした。
周りに民家は一軒もないので、まさに「闇」です。
夜中にトイレに行きたくなって、テントの中で目が覚めました。
いつもなら、スイッチ1つで電気をつけられますが、そんなものはありません。
頼りになるのは、月の光だけ。
そのかすかな光を頼りに、川端まで行き、おしっこをしました。
この経験は、便利な道具に囲まれていた私にとって、衝撃でした。
あえて、山奥で生活をする。
あえてライターを使わない。
あえて炊飯器を使わない。
電気もない。
私は貴重な経験ができました。
一度でもそういう経験をすると、現実への見方が変わりました。
キャンプ場から家に帰ったとき、家中の当たり前の風景が、大変豊かであるように感じられました。
指先で一瞬に火がつくライター。
ワンタッチで、お風呂が沸く湯沸かし器。
ボタン1つで、ご飯が炊ける炊飯器。
スイッチ1つで、明るくなる電気。
当たり前だと思っていた機器の便利さを実感でき、そうした機器の便利さをいま一度体感できた貴重な経験でした。
「現代は豊かだ」
どの大人たちも、そう言います。
しかし、子どもは生まれたとき、初めから豊かな機器に囲まれているので、当たり前だと思ってしまう。
それをわからせるには、野外キャンプを体験させるのが、一番です。
豊かさを感じさせるのではなく、いま一度、原点を体験させるのです。