「ゲームをして遊ぶ」
突然ですが、この言葉を聞いて、あなたは最初に何を想像しましたか。
ゲームといえば、テレビやパソコンなどのスクリーンに向かってするゲームを想像する人が多いのではないでしょうか。
テレビ・パソコン・ゲーム機の画面と向き合い、ボタン操作をしながらするゲームです。
21世紀になって生まれた人なら、ほとんどそういうイメージを持つ人が多いことでしょう。
遊びといえば「家の中でするもの」と思っている人が多いようです。
20世紀から21世紀までのわずかの間に、遊びに対するイメージもがらりと変わりました。
科学技術が進歩して、家の中にいながらにして、広い世界で冒険をしているようなゲームを楽しめるようになりました。
しかし、20世紀に生まれた人なら、ほとんどが違ったゲームを連想するはずです。
竹馬・めんこ・かくれんぼ・鬼ごっこ・かるた・トランプゲームなどです。
20世紀まではコンピューターの発達が未熟だったため、遊びといえば、家の外でするイメージが強くあります。
私も、遊びといえば「外でするもの」というイメージがあります。
近くに神社があり、そこで野球・かくれんぼ・鬼ごっこを1日中していた思い出があります。
特に木登りは、本当によくやりました。
木の上にいるセミを捕まえようとして、木に登って逃げられるという思い出は数え切れないほどです。
そういう何でもないところにも楽しみはあります。
技術が進んだ今だからこそ、古い昔の遊びを教え、何でもないところにある、楽しみに気づかせる価値があります。
古いからこそ、価値があります。
電気がなかった時代に、子どもたちはどんな遊びをしていたのか。
ゲーム機がなかった時代に、子どもたちはどんな遊びをしていたのか。
子どもたちは昔の遊びに、夢中になるはずです。
時代は変わっても、ゲームの本質は変わりません。
ゲームの本質とは、どきどき感やわくわく感などの興奮。
勝ち負けの嬉しさや悔しさです。
それは今も昔も変わりません。
何も変わりありません。
時代が進むにつれ「ゲームの形態」は変わりましたが「ゲームの楽しさ」は、今も昔も変わりありません。
たとえ古臭いゲームでも、子どもたちがやり始めれば、夢中になるでしょう。
物がない時代には、何もないなりに、こんな工夫をしながら遊んでいたんだということがわかるはずです。