あなたにとって本当に大切なことを思い浮かべるとき、どのような方法を採りますか。
今、持っているものを思い浮かべながら、大切なことを考えますか。
友人の顔を思い浮かべたり、過去にあった記憶を探ったりと、大切なことを見つけるために、いろいろな方法があることでしょう。
ですが、本当に大切なことは、次の方法によって本物が見えてくるようになります。
死の瞬間から、今を見るのです。
自分が将来、死ぬであろうときの光景を思い浮かべます。
あなたが人生の最後に行き着くところは、死です。
あなただけではなく、私も、みんなも、生き物すべてが同じです。
最後には必ず、死というゴールが待ち受けています。
逃げようがなく、絶対的な事実であり、真実です。
本当に大切なことを考えるときには、そんな人生の最後である死の瞬間から今を見るといいのです。
中途半端な視点から考えるより、死という究極的な視点から考えると、本当に大切なことが見えてきます。
たとえば、お金は大切なことでしょうか。
たしかにお金は生きるためには必要です。
衣食住にはお金がかかり、交際費、交通費、光熱費など、人生ではお金のかかることばかりです。
しかし、死の瞬間から考えてみるとどうでしょうか。
死の瞬間から見ると、本当の答えが見えてきます。
あなたが100歳の大往生を向かえ、今まさに人生を終えるというときに、お金が欲しいと本当に願うでしょうか。
いいえ、そうは思わないはずです。
お金はあの世まで持っていけないからです。
お金はたしかに大切ですが、本当に大切ではありません。
では、次に、地位や権力、肩書はどうでしょうか。
仕事を立派にこなし、社会的にも多くの人から仕事ができる人だと認められ称賛されます。
承認欲求を満たせ、満足を感じることができるでしょう。
しかし、死に直面したときに、そうした地位、権力、肩書をどう思うでしょうか。
もう今から死ぬというときに「社長になりたい!」「偉そうに威張りたい」と思うでしょうか。
いいえ、そうは思わないはずです。
今から死ぬというときには、地位、権力、肩書をあの世まで持っていくことはできないからです。
どうでもいい話になっているはずです。
生きている間の大変短い話です。
このように年を取り、よぼよぼの老人の末、死の直前になったときに「本当に求めていること」がはっきり見えてきます。
まさに今から死ぬというとき、あなたは何を求めますか。
何を欲しがりますか。
目をつぶって、想像して、考える時間を作ってください。
私なら、死に直面したときには、みなに愛されて死んでいきたいと願います。
自分の得意な幸せに関する知恵、文章能力、コンピューターの知識を大いに生かし、残して、人生を全うしたいと願います。
もしそれが実現できれば、私は今死んでもいいなと、本当にそう思います。
どうせ死ぬのですから、意味のある生き方がしたい。
生きている間の活動が、ほかの人の役に立ち、感謝され、称賛され、愛されることができれば、満足して死を迎えられるでしょう。
社会に貢献する意味のある人生を送ることができれば、安心して死ねます。
そんな死の瞬間から今を見ることで「今、何をするべきか」が必然的に見えてきます。
どんな仕事に就き、友人を持って、経験を積んで、本を読むべきか。
こうしたことは、死の瞬間から今を見ることで、見えてきます。
私は今、HAPPY LIFESTYLEの運営を通して、世間に対して、幸せに関する知恵を少しでも広めようと活動しています。
死の瞬間から今を見ることで、今何をするべきかが見えてきたのです。
本当に求めることがわかったのです。
私はこのようにして「自分にとって本当に大切なこと」を早い時期に気づき、見つけることができました。
お金も、家も、権力も地位も、私が死ぬときには、色あせて見えます。
単なる紙切れであり、幻想にさえ思えます。
あらためて、あなたへ質問です。
年を取り、まさに今これから死ぬというとき、何を願い、求め、欲しますか。
もうあと数時間後には、死んでしまいます。
「考えたくない」と思うでしょうが、いずれそういうときがきます。
そんなとき、何を思い、何を願い、どうされたいですか。
目をつぶって、瞑想して、人生の最後から今を考えてみましょう。
本当にあなたにとって、大切なことは何ですか。
それに気づくことができれば、死の瞬間から今を見て「今、どうするべきか」「次に何をするべきか」が見えてくることでしょう。
本当に大切なことは、死の瞬間から今を見ることで、気づくことができるのです。