勉強は何のためにするのか。
もちろんどれも正解です。
勉強の目的は人それぞれ。
人生のステージによっても、勉強の意味が変わってくるでしょう。
しかし、大切なことが抜けています。
「無知であることに気づくため」です。
勉強すればするほど、いかに自分が無知であるか気づけます。
勉強しないと、自分が無知であることに気づけません。
世の中は広い世界であるにもかかわらず、自分が見ている狭い範囲だけで、物事を考えるようになります。
視野が狭いと、見ている範囲がすべてだと錯覚するようになるでしょう。
「私は何でも知っている」と勘違いして、横柄になってしまいます。
これほど恥ずかしいことはありません。
無知に気づくためにはどうすればいいか。
勉強することです。
勉強しかありません。
勉強すればするほど、世の中には知らないことやわからないことがたくさんあることに気づきます。
勉強して無知を自覚すると、自然と腰が低くなります。
勉強するにつれて「これも知らない。あれも知らない」となります。
「まだまだ知らないことがたくさんある」と気づくから謙虚な姿勢が身につきます。
無知を自覚すると「教えてください」「学ばせていただきます」という態度になります。
だから勉強家はみんな腰が低いのです。
無知を自覚したいなら勉強することです。
勉強すると、不思議な現象を体験するでしょう。
それは「勉強するにつれて無知の自覚が強まる」という現象です。
勉強で視野や世界が広がるにつれて、知っていることより知らないことの比率のほうが増えるからです。
広大な宇宙の中で、自分の人生で知り得る量はほんのわずかです。
世の中は、発見されていることより、まだ発見されていないことのほうがたくさんあります。
既知が増えるにつれて「すべてを知り尽くすのは不可能」ということに気づかされ、衝撃を受けるのです。
無知を自覚したいなら勉強することです。
勉強は、自分の無知を自覚するためにするもの。
無知の自覚は既知の自覚より貴い価値があります。
無知に気づくことも勉強です。