幼いころ、家族全員で動物園に出かけたことがありました。
実家から車で40分ほどのところにある、愛媛県の砥部動物園です。
この砥部動物園には、普通の動物園と少し違った特徴があります。
園内には、子どもたちが自由に本を見たり読んだりできる「読書スペース」があります。
子ども向けの多種多様な本が置いてありました。
私はそのスペースを見つけ、何気なく本を見ていると、気になる1冊を見つけました。
ほんの数ページですが、ぱらぱらめくっただけで、何か夢中にさせるものがありました。
その私が夢中になった本こそ「エジソンの伝記」です。
はるか昔、エジソンなる偉大な人物がいて、素晴らしい功績を残したのだと知り、感動しました。
「光る電球はエジソンが作ったのか」
どきどきしながら本を読んでいました。
なぜ面白いのか、自分でもそれはまだはっきりしない感覚です。
たしかなことは、吸い込まれるように読んでしまったということです。
動物を見るために、動物園に来ました。
にもかかわらず、私はそのほとんどの時間を、読書に費やしてしまいました。
親としてはわざわざ週末に時間を作って、お金を払い、家族全員で動物園にきました。
決して本を読みに来たわけではありません。
せっかく来た動物園で、読書ばかりしていれば「動物園に来たんだから動物を見なさい」という小言も言いたかったことでしょう。
しかし、親はそっとしてくれました。
「そのへんで動物見てくるから、貴博はここで好きなだけ本を読んでいなさい」
家族全員、反対する者はいませんでした。
特に寛大だったのは祖父でした。
「子どもが夢中になっている。何かその先に才能のような物があるのではないか」
長く生きている祖父だからこそ、直感のようなものが働いたのでしょう。
驚くべきことに動物園からの帰りに本屋に寄って、その本を買ってくれました。
もちろん家に帰ってからも夢中になって読みました。
そのときのことは、今でもはっきり覚えています。
今になって思えば、そのときの時間が自分の基本的な一部を作ったのはたしかです。
何か作ったり、創造したりする点に、自分の才能のようなものを見いだしていたのです。