共感を得る手軽なツールとして、SNSが人気です。
共感は支持です。
共感は快感です。
多くの人に共感されると、それだけ多くの支持を受けたことになり、快感を覚えるでしょう。
「わかります!」「共感します!」と言われると、とても気持ちがいいもの。
頑張ってきたことが報われた気がします。
疲れも一気に吹き飛び、承認欲求も満たされます。
共感が多ければ多いほど、自分が人気者になったような感覚を覚えるでしょう。
SNSで発信する際、できるだけ共感されるような言葉を選んでいる人も多いはずです。
もちろん共感されたい気持ちは誰にでもあるものであり、それ自体は悪いことではありません。
しかし、エスカレートすると話は変わります。
共感を求める気持ちが強くなるにつれて、人目を気にすることにつながります。
発言や行動の基準が、自分軸ではなく他人軸になっています。
できるだけ多くの人に共感されようとすると、それだけ多くの人を意識するようになります。
共感を重視すればするほど、周りの目を気にしなければいけなくなってストレスを感じます。
「どんな発言をすると共感されるか」といったことばかり考えるようになり、自分の気持ちが後回しになる。
ここまでくると、もはや共感中毒です。
共感されるために発言や行動を意識することほど愚かなことはありません。
共感を得るために必死になればなるほど、自分の本心が陰に隠れていき、いずれ自分を見失うことになるのです。
共感について大事な心得があります。
共感は、求めるものではありません。
自然と生まれるものです。
積極的になるものではなく、勝手にされるものと考えてください。
わざわざ共感されるために行動しないことです。
発言や行動の際、共感されるかどうか意識する必要はありません。
共感されたらされたで嬉しいですが、共感されなくても気にしないことです。
「共感されたらラッキー」と思うくらいでいいのです。
「自分のやりたいようにやっていたら、いつの間にか共感されていた」というのが理想です。
あなたの好きなようにしてください。
やりたいことも、好きなことも、叶えたい夢も、あくまで自分の気持ちが第一です。
発言も行動も生き方も、自分の意思を尊重して、自分の軸で進めていくことです。
共感されなくても気にしません。
周りからどう思われようと関係なし。
思ったことも感じたことも、素直にありのまま発信することです。
そんな中、意図せず人から共感されることがあります。
それで十分です。
共感は、求めるものではなく、自然と生まれるものなのです。