「正義は必ず勝つ」
私たちは子どものころから、そう教えられてきました。
親からも先生からも周りからも「正しい行いをしなさい。正義は勝つ。最後に勝つのは正義」と教えられてきたでしょう。
正しい行いをすれば、途中で不幸や不条理があっても、最後は必ず勝って報われると教えられてきました。
ところが大人になるにつれて世の中が見えてくるようになると、だんだん「本当の現実」が見えてくるようになります。
世の中は不条理です。
残念ながら、正義が勝つとは限りません。
正しい行いをした人が損をして、悪い行いをした人が得をする場面があります。
悪い行いをした人が勝つと「おかしい!」「ありえない!」「間違っている!」と叫びたくなるでしょう。
「最後に勝つのは悪」という信じられない現実を目の当たりにすることも少なくありません。
悪い行いをする人が勝ったり得をしたりするなら、正義に対する責任感が揺らぎます。
「正義を捨てて、悪に染まったほうがいい」と気持ちが揺らいでしまう考え方に変わりそうになるかもしれません。
しかし、ここで気づいてほしいことがあります。
正義とは何か。
辞書を引いて、意味を確認してみてください。
正義とは、人として行なうべき正しい筋道のことをいいます。
つまり、正義を忘れたら、その人はもう人ではなくなってしまうということです。
負けることがあったとしても、正義でいることです。
人として正しい行いを貫きました。
誘惑に打ち勝ちました。
正義のために、信念を貫きました。
これを「貴い」と言わずして何というのでしょう。
間違った志で勝つくらいなら、正しい志で負けたほうがいいのです。
勝負では負けたかもしれませんが、志では勝っています。
今は評価されていなくても、時を経てから評価されるでしょう。
人として正しいことをしているのですから、負けたり損したりすることがあっても、堂々とした態度でいられます。
堂々とお日さまの光を浴びることができ、誇りを持って生きていけます。
勝ち負けにこだわるのではありません。
正しい志にこだわりましょう。
たとえ負けることがあったとしても、正義でいることです。
見る人が見れば、わかってくれます。
そして褒めたたえてくれるでしょう。
「負けてしまったね。うまくいかなかったね。でもあなたは素晴らしかった」と。
負けたり損したりすることがあっても、その貴い生きざまが、周りの人を感動させるのです。
すなわち、正義は、曲げるものではなく、貫くものなのです。
私たち人間は、高等な生き物です。
ほかの野生動物とは違って「心」があり「理性」があり「品性」があります。
邪悪な心に染まってはいけません。
道理や道徳にしたがって、正しい行いを心がけることです。
人であれば、人らしく正義に生きるのが正解です。
正しい行いをする人は、時間はかかれど、必ず光が当たります。
正しい行いは、結果にかかわらず、常に正解です。
間違った行いで勝つくらいなら、正しい行いで負けたほうがいいのです。