なぜ親は、余計な一言を言ってくるのでしょう。
どうして親の小言は、あれほどいらいらしてしまうのでしょう。
親と接していると、小言を言われることがあります。
「もっとしっかりしなさい」
「ここをこうしなさい。あそこをこうしなさい」
「もっと○○したほうがいいんじゃない?」
子どもの時期ならまだ小言を言うのもわかりますが、成人を迎えてからも、あれこれ言ってきます。
親は、余計な一言を言ってきます。
むっとして「うるさいな」と思うでしょう。
もちろん親が完全に間違っていることもあるでしょう。
親も神様ではありません。
人生の先輩とはいえ、間違いや勘違いをすることもあります。
しかし、親の小言は、完全に無駄と言い切れるのでしょうか。
親から「薄情だな」と言われたとき、むっとしながら心の中で「そんなことはない!」と反発しますが、本当にそうでしょうか。
ストレートな一言ですが、親が客観的に感じた、正直な意見でもあります。
落ち着いて考えてみると「そうかもしれない」と思う余地が、少しくらいあるかもしれない。
親の意見に同意するところがあるかもしれない。
親が99パーセント間違っていても、1パーセントくらい正しいときもあるでしょう。
友人や知り合いは、あなたを傷つけないよう、当たり障りのない一言を言ってくれます。
ありがたいですが、少し悲しいことでもあります。
自分の悪いところを指摘されなければ、自分の悪いところも改善するのが難しくなります。
一方、親は違います。
親は、ほかの人が言わないストレートな一言をはっきり言ってきます。
1パーセントでも納得できる余地があるなら、むっとしつつも「一理ある」と受け入れてみてください。
99パーセントは無視してもいいので、1パーセントくらいは「そうかもしれない」と思って受け入れてみる。
ほかの人が言ってくれない一言かもしれません。
その一言を自分の生き方を見直す材料にすればいいことです。
貴重な意見は、不快感が伴うもの。
貴重な意見であればあるほど、不快感も大きくなります。
「うるさいけど貴重な意見」と考えると、受け入れやすくなるでしょう。
うるさく感じる感情部分だけ切り捨て、意見部分だけ取り出してみてください。
うるさい親の小言も、いずれ聞けなくなる日がやってきます。
親がこの世からいなくなれば、あれほどうるさい小言が、今度は一言も聞けなくなります。
どんなに大金を積んでも、どんなに努力しても、どれだけ天に祈ろうと、小言を一切聞けなくなります。
親がいなくなれば、あなたの悪いところを指摘する人はほとんどいなくなってしまいます。
親の小言が聞けるのも、今のうちだけなのです。