そもそも尊敬される人は「尊敬されたい」と考えていません。
もちろん尊敬されたい考えが悪いわけではありません。
尊敬されたいために優しく接した経験は、誰でもあるでしょう。
知人友人から「すごいね」と言われたいために行動するのは、別に悪いことではありません。
褒められたくて行動するように、尊敬されたくて行動することも、人間のさが。
あくまで適度の範囲なら、行動を促すモチベーションの1つになります。
しかし、尊敬されたい気持ちはあっても、その気持ちが強すぎるのは要注意です。
「尊敬されたい」と思う時点で、少なからず打算や下心が存在しています。
「周りからすごい人と思われたい」
「周りから一目置かれる存在になりたい」
「周りから優れていると認められたい」
やましい考えが強くなるにつれて、打算や下心の度合いも強くなります。
行動するときの目的が、人助けや社会貢献ではなく、自分の見栄とエゴの達成になっています。
純粋な気持ちで人を助けるのではなく、尊敬されるために人を助けることになります。
相手に喜んでもらいたいから行動するのではなく、人気者になりたいから行動します。
世の中に貢献したい気持ちがあって取り組んでいるのではなく、自分の地位と名誉のために取り組もうとします。
それはよくないのです。
本当に尊敬されている人は、打算や下心のない状態で行動しています。
ノーベル賞の受賞者に共通しているのは「ノーベル賞を取るために仕事をしたわけではない」という点です。
あくまで世のため人のために尽くした結果であって、最初から受賞を目指して取り組んだ人は1人もいません。
打算や下心があると、意外と周りから見抜かれます。
態度・表情・言葉遣い。
打算や下心のある様子は、普段と違うので「何か別の事情があるのではないか」と疑われ、警戒されます。
行為の本当の目的がばれると、親切や人助けも台無しです。
どんな立派な功績もむげになります。
「やましい気持ちがあって行動していたのですね」と、相手は失望するでしょう。
尊敬の対象どころか、軽蔑の対象になります。
行為は素晴らしくても、打算や下心があると、やはり尊敬されるとは言えません。
打算や下心のある行動は、表向きは美しくても、実質は美しくないのです。
大切なのは「純粋な気持ち」です。
心の底から「助けたい」「貢献したい」「世の中の役に立ちたい」というまっすぐな気持ちがあってこそ、その行動も輝きます。
「尊敬されたい」ではなく「貢献したい」という気持ちが大切です。
大きな功績を残すには努力が必要ですが、その努力は、純粋な気持ちがあるから湧き出てきます。
貢献したい気持ちが底力になると、無限の努力ができるようになるのです。