私たちの日常では時折「ご縁」という言葉が登場します。
「これもご縁です」
「ご縁に恵まれました」
「あなたと出会えたのは、きっと何かのご縁でしょう」
きっとあなたも、言ったり言われたりしたことがあるでしょう。
さて、ここで素朴な疑問です。
ご縁は、何を基準に判断すればいいのでしょうか。
素晴らしい出会いができたときでしょうか。
相性が合う人と出会ったときでしょうか。
はたまた相手と結ばれたときでしょうか。
たしかにどれもご縁と呼べる代表的な場面ですが、もっと基本的なことでいいのです。
「相手と出会った」というだけでいいのです。
相手と出会っただけで「ご縁」と呼べる理由としては十分です。
いえ、十二分と言ってもいいでしょう。
地球には、80億人以上の人がいます。
これだけ多くの人がいる中で、あなたが特定の人と出会うことは、天文学的に低い確率です。
単純に確率を考えると「80億分の1」です。
出会えただけで、その低い確率を当てたことになります。
サイコロを投げて「1」が連続12回出るより低い確率です。
6を12回かけると2176782336になりますが、それよりまだ低いのです。
出会いは普通の出来事に思えますが、実は奇跡です。
出会えただけで、ご縁と呼ぶ理由としては十分なのです。
「この出会いはご縁と呼べるだろうか」と迷うのはナンセンスです。
出会いの神様に「これを奇跡と言わずして何と言うのだね」と叱られてしまいます。
出会えただけで「ご縁」と呼べる理由としては十分です。
「どこがご縁なのですか」と聞かれることがあれば「あなたと出会えただけで十分なご縁です」と言えばいい。
安易な理由ではありません。
きちんとした理由です。
奇跡が起こっているのですから、ご縁と言うほかありません。
あなたの日常にある出会いはすべて「ご縁」です。
ご縁は、特別な場所にあるのではありません。
ご縁は、身近にたくさんあります。
あなたは今「ご縁に囲まれて生きている」という状態なのです。
たとえ不快な出会いであっても、ご縁と呼べます。
そのときは不快に感じても、ちょっと誤解をしているだけかもしれません。
後から誤解が解け、仲が深まって、運命の人になる可能性もあります。
出会いがあったら、サイコロの「1」が連続12回出るところをイメージしてください。
「ありえない」と思うことが、今あなたの目の前で起こっています。
人生は、奇跡の連続です。
出会えただけで「ご縁」と呼べる理由としては十分です。