「いい出会いがあるでしょうか」
そんな質問をしないことです。
人に聞いたところでわかりません。
聞かれた相手も返事に困ります。
「ない」と答えるのも失礼なので「きっといい出会いがあるよ」と建前の返事をするしかありません。
建前の返事は、社交辞令と同じです。
「いい出会いがあるでしょうか」と聞く時点で、出会いを運任せにしていることがうかがえます。
出会いは、100パーセント運で決まるものだと思っています。
出会いは、天からの授かりものだと思っています。
これはよくありません。
出会いを、運や偶然だけに頼ってはいけません。
「出会いは運がすべて」と思わないことです。
出会いを運に頼っていると、運任せになり、受け身の姿勢になります。
「いい出会いがあるでしょうか」と聞くのはよくありません。
占い師なら答えてくれるかもしれませんが、結局のところ、人に聞くことに変わりありません。
聞くことにエネルギーを使って、肝心の行動をしなくなります。
聞くことで何かを達成した気になって、満足してしまいます。
「いい出会いがあるよ」と言われたら「やった」と喜んで待つことになります。
じっとしているので何も起こりません。
出会いのない日が続くばかり。
「おかしいな。いい出会いがあると言われたのにな」と思うだけで終わります。
「いい出会いがあるでしょうか」と聞く人に、いい出会いはないのです。
「いい出会いがあるでしょうか」と人に聞くくらいなら、自ら動くことです。
自分の意思で行動して、いい出会いをしに行けばいいのです。
自分から動かなければ、誰にも出会えません。
行動してみないと、いい出会いがあるかどうかはわかりませんが、少なくとも建設的です。
いい出会いは、自分の手でつかみ取りに行くものです。
これだけです。
積極的に動いているので、じっとしているより、いい出会いに恵まれる確率は上がります。
結局のところ、自分次第です。
知らない人が大勢参加するイベントがあるとします。
そこに出席して、自分から積極的に話しかければ、ほぼ確実に出会えます。
むしろ出会えないほうが難しいでしょう。
「いい出会いがあるでしょうか」と聞くまでもなく、自分の力で実現できることです。
「いい出会いがあるでしょうか」と聞かないことです。
人に聞くだけでは出会えません。
積極的に動く人が出会えます。
未来は、自分で作り、自分の手でつかみ取るものです。
出会いも、自分で作り、自分の手でつかみ取るものです。
自分で行動できる人に、いい出会いがあるのです。