「何者かになりたい」
そう思ったら、必須条件があります。
それは「1つの道を究める」ということです。
多芸を目指そうとしていませんか。
同時に2つの道を歩んでいませんか。
複数のプロになろうとしていませんか。
いろんなことに手を伸ばせば、さまざまな能力を身につけることができます。
「何かあったときの保険」と思って、同時に2つの道を歩むこともあるでしょう。
たしかにいろんなことができたほうが、いざというときの保険にもなります。
差別化を図るために、わざと多芸を目指そうとしている人もいるでしょう。
複数のことをできたほうが希少性が増して、特別な存在になるように思われます。
しかし、何者かになりたいなら、最初から多芸を目指すのは要注意です。
複数のことに手を出すと、限りあるリソースが分散されます。
個人のリソースは限られています。
時間もお金も労力も有限です。
多芸であればあるほど、リソースの分散が著しくなります。
あれもこれも手を伸ばしてリソースが分散すると、なかなか能力を伸ばせなくなり、実績も積みにくくなります。
最初から多芸を目指すと、一芸もできなくなります。
2つ以上に道を歩もうとしているのは、覚悟が中途半端とも言えます。
専門性が中途半端になり、アマチュアから抜け出せないのです。
ましてや本職をサボってまで副業に手をつけるのは言語道断です。
副業がうまくいかないどころか、本職までうまくいかなくなり、共倒れになる可能性があります。
あれもこれも手を出すと、何者にもなれないのです。
何者かになるためにはどうすればいいか。
多芸を目指すのではありません。
まず一芸を究めるのです。
何者かになるために必要なのは「選択と集中」です。
好きで得意な分野を見つけ、そこにすべてを集中させ、自分の才能に投資します。
選択と集中に必要なのは「1つの道に絞り、専門性を究める」ということです。
お金も時間も労力も、そこにすべてを費やすくらいになることが必要です。
徹底的な投資を行い、能力を伸ばせるだけ伸ばします。
だからこそ突き抜けることができ「何者か」になれるのです。
世の中を見てください。
プロとして、サッカー選手とテニス選手を両立している選手はいません。
どちらもスポーツですが、競技が違います。
プロサッカー選手もプロテニス選手も、その道を究めています。
その道を究めるからこそ実力を伸ばしていき、プロになれました。
プロとして、画家と作家を両立している人もいません。
どちらも創作活動という点は同じですが、表現と専門分野が違います。
レオナルド・ダ・ビンチのような多芸を究めた人もいますが、それは希代の天才だからできることであり、例外と考えることです。
「自分はこの道で生きる」と決めたら、とことん突き詰めることが大切です。
余計なものは捨てます。
彫刻は削ることで形になりますが、私たちもそれと同じです。
余計なものを捨てることで、形になります。
「何者かになる」というのは、言い換えれば「覚悟を決める」ということです。
余計なものはすべて捨て、徹底した選択と集中を行い、自分の才能に投資することが必要です。
脇目も振らず、寄り道もせず、後ろも振り向かず、ひたすらその道を突き進むこと。
世界一を目指すくらいの意気込みで取り組み、その道を究めます。
すると、実力やキャリアが積み重なっていき、突き抜けることができます。
結果として、何者かになれるのです。