まずい食べ物に感謝してください。
まずい食べ物はまずい。
食べられないものは食べられない。
「なぜ感謝しなければいけないのか」と首をかしげる人も多いでしょう。
感謝どころか、抵抗感があってネガティブな感情しかないかもしれませんが、ここで気づいてほしいことがあります。
すべてがおいしい食べ物だとどんな世界になるか、想像してみたことはありますか。
ありえない世界ですが、頭を柔らかくして、そういう世界があるものと仮定して想像してみてください。
世の中にあるすべての食べ物がおいしいとしましょう。
あらゆる食べ物がおいしくて、まずい食べ物が1つもない世界だとします。
最高のパラダイスのように思えますが、実際はどうでしょうか。
それはそれで、味気ない世界になるでしょう。
おいしい食べ物ばかりでは、味覚の変化が乏しくなります。
おいしいものばかりでは好き嫌いの区別がなくなってしまい、大好物の意味がなくなります。
味覚の変化も乏しくなるでしょう。
特別感や贅沢感がなくなって、普通になります。
おいしいしか味わえないのは、最初は快感であっても、だんだん慣れていきます。
最初は「おいしい、おいしい」の連続で幸せですが、だんだんおいしさにも慣れてしまい、味気なくなるのです。
当たりしかない宝くじは「当たって当然」と思ってしまうため、かえってつまらなくなるのと同じです。
おいしい食べ物ばかりでは、それはそれで味気ない世界になります。
そこで大切な役割を果たすのが「まずい食べ物」です。
まずい食べ物は、おいしいものを引き立てる存在です。
スイカは、塩味があるから甘みが引き立つように、食の世界もまずいものがあるからおいしいものが引き立ちます。
「なんておいしいのだろう!」と喜びと感動が大きくなります。
まずいものがあるおかげで、おいしいものを楽しめる。
おいしいものがあるおかげで、まずいものを楽しめます。
私たちが今、豊かな食を実現できているのは、まずいものがあるおかげです。
まずい食べ物にも存在意義があります。
「消えてなくなれ!」と否定するのではありません。
「まずいけど、なくてはならない存在だよね」と肯定することです。
もちろん無理やり好きになる必要はありませんが、存在価値を認め、感謝の気持ちは持つことが大切です。
まずいものの恩恵に気づけば、素直に感謝できます。
まずいものがあってよかった。
おかげでおいしいものが楽しめます。
まずいものも、豊かな食の世界に貢献している存在です。
いろいろな人から嫌われていますが、ふてくされることなく、けなげに頑張っています。
いま一度、まずいものに感謝です。