私たちが生きる社会には「はやり」があります。
世の中は、はやりの連続です。
新しいはやりが生まれては消え、また新しいはやりが生まれては消えます。
はやっていることは、雑誌で特集が組まれたりニュースで大々的に流れたりして頻繁に目にします。
今も何かが世間ではやり、話題になっているでしょう。
ところが、はやっていることにうがった見方をする人がいます。
「ミーハーにはなりたくない」
「はやりの乗っかるのは負けた気がする」
「私は流行に惑わされる人間ではない」
「今ははやっていても、どうせすぐ廃れていくよ」
はやりに騒いでいる人たちがいても、同調せず、少し離れたところから冷めた目で見ています。
たしかに安易に飛びつく様子もあり、抵抗感を持つ人もいるでしょう。
流されやすいイメージがあるのは否めません。
だからといって、やみくもに否定するのもよくありません。
「はやりに流されてたまるものか」と否定する気持ちがあると、刺激を制限してしまい、変化と成長の妨げになります。
意地を張ってはやりを否定していると、時代後れの人間になってしまいます。
はやりには、素直に乗っかってみましょう。
抵抗があるなら「素直になるトレーニング」と考えてください。
はやっていることがあれば、素直に飛び込んでいきましょう。
「乗っかっていいのかな」ではなく「さあ、乗っかろう」でいきましょう。
実際に体験してみることで「時代の今」を感じることができます。
日常に新鮮な刺激をもたらし、新しい変化が得られ、心も若返ります。
はやっているにも理由があります。
メディアによる影響もあるとはいえ、はやっているのは事実です。
はやっているということは「時代の流れに合っている」「人の心をつかんでいる」ということです。
はやりに乗っかることで時代の流れを感じることができるでしょう。
仕事につながるアイデアがひらめくことがあります。
ミーハーな感じがするかもしれませんが、気にすることはありません。
はやりに乗っかることは、痛々しい行動ではありません。
若々しい行動です。
若返りの王道でもあります。
ミーハーは悪いことではありません。
笑う人がいれば、ストレートに「私はミーハーです」と言えばいいだけです。
違法でも不自然でも非常識でもないのですから、堂々としていればいいのです。
「流されやすい」と考えるのではありません。
「時代の変化に素直」と考えてください。
はやりを試すことでお金がかかっても無駄ではありません。
はやっていることに飛び込めば、話ネタにもなります。
人を引きつけるネタができる時点で元は取れています。
話ネタができたり新鮮な刺激が得られたりするので、十分な意味があります。