ずるいことをしないことです。
ずるいことは悪いことです。
不正なことをして、自分だけが得をしようとするのはよくありません。
騙したりごまかしたりすれば、簡単に利益が得られるでしょう。
短期で大きな利益が得られることも少なくありません。
簡単に大きな利益が得られれば「最高ではないか」と歓喜したくなるところ。
「誰にもばれていなければ大丈夫」と思うかもしれません。
しかし、人にばれなくても「ある存在」にはきちんとばれています。
天の神様です。
天の神様はずるいことを見逃しません。
暗いところに隠れようと、隔離された場所にいようと、天の神様はお見通しです。
ずるいことをすれば、天罰が下るようになっています。
遅かれ早かれ、必ず罰が当たります。
得た利益を没収されます。
信用も落とします。
長く積み上げてきた大きな信用も、あっさり崩れ落ちます。
それだけでなく、相応の罰を受けることになるでしょう。
生きているかぎり、天の神様から逃れることはできないのです。
「ずるいことをしたことがあるけど、何もなかったよ」
ここがポイントです。
ずるいことをしても、直後に天罰が下るわけではありません。
タイムラグがあります。
「天罰は忘れたころに下るもの」と決まっています。
すぐ天罰が下ることはまれです。
普通は、数週間後・数カ月後になります。
数年後・数十年後になることも珍しくありません。
時には世代を超えることもあります。
本人に天罰が下るとは限らず、家系を通して本人の子や孫に下るすらあります。
神様は、忘れたころを狙って天罰を下してきます。
本人が油断した瞬間を狙って、ぴしゃりと会心の一撃がやってきます。
ずるいことであればあるほど、タイムラグも大きくなるのが特徴です。
結局のところ、必ず天罰が下るのです。
ずるいことをして得をしたように思えても一時的です。
しばらくして天罰が下りますが、ゼロに戻るのではありません。
マイナスになります。
最初の状態より悪くなり、ずるいことをした意味がなくなります。
ずるいことをするのは、短期的には得に見えても、長期的には損です。
「あんなことしなければよかった」と後悔することになるでしょう。
結局のところ、ずるいことをしないのが一番です。
では、何を心がければいいのか。
「正当」を心がけるのです。
法にのっとっていて、理にかなっていて、正しくあることです。
正当を心がければ、正しい結果が返ってきます。
正当だからこそ、勝ったときや成功したときの喜びも大きくなります。
どんな結果であっても、正当なものとして受け止めることができます。
たとえうまくいかなくても、現実の結果として、潔く結果を受け入れることができます。
正当な生き方を心がけてください。
素直になり、正直を心がけ、自分に非があればきちんと罪を認めます。
「天の神様に見られている」というより「天の神様に見てもらう」という意識のほうがいいでしょう。
天の神様に見てもらう意識でいれば、常に緊張感が漂って気持ちが引き締まり、良識と良心が保たれます。
正当な生き方は人として正しい生き方ですから、結果に関わらず、堂々としていられます。
日の当たる道のど真ん中を歩けます。
回り道になっても、正当であれば快く受け入れましょう。
「仕方がない」とがっかりするのではなく「これでいい」と胸を張ることです。
回り道だから悪いとは限りません。
回り道になるだけ、多くの経験ができ、知恵も身につきます。
結果として、回り道が近道になることも少なくありません。